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あれから

 投稿者:KWR  投稿日:2005年11月 2日(水)09時06分31秒
  もう一年
早いもんやね~
 
 

(無題)

 投稿者:ピンピン  投稿日:2005年 7月28日(木)21時45分15秒
  今まで何回も他のバンド含め見てるけど、振り返ってみるとやっぱあの野音のライブってのはラフィンへの思い入れ抜きにしても今までの人生の中で最高のライブだったよね 次の野音いつやるか知らないけどこれまで同様ラフィンについていくからさ ラフィンのみんなも頑張ってよ  

レポ105

 投稿者:e-mail  投稿日:2005年 1月23日(日)10時52分16秒
  あの野音はいままでで一番よかったです!
チャーミーも昔と変わってなくて昔に戻ったようなライブでした!
 

レポ104

 投稿者:e-mail  投稿日:2005年 1月 6日(木)11時33分21秒
  あの野音から2ヶ月と少しがたった。
あの夢か幻のようなライブは確かに現実だった。どこまでも透き通った、神聖な空気に包まれた「宝物」のようなライブ。雑誌のインタビューで、その裏側を知ると更に胸にこみあげてくるものがある。
チャーミーさん、ポンさんがどういう気持ちでライブに挑んだか。ナオキさんは、タイセイさんは。そしてその後の心境の変化。
長い間ラフィンとラフィンファンの中で、「野音」という言葉は禁句のようなものだったと思う。とてつもない大きな決して癒える事のない傷。それと正面から向き合い、逃げることなくライブを決行したラフィン。それを正面から受け止めたラフィンファン。あの日、会場にこれなかった人達の「想い」も確かに「あの場所」にあったと思う。そうじゃなきゃ、あの「奇跡的な空間」はありえなかった。
あの「野音」をターニングポイントに、ラフィンは「最終章」に向かうという。チャーミーさんが言う「でっかいビジョン」それが何なのかは今はわからない。何処を目指し、何処に辿りつくのか。それがなんであろうと、どんな結果であろうと、その最後の時まで必ず見届けようと思う。あの「野音」に参加した一ファンとして。
最後に「ラフィンのライブにゃ愛がある」
 

レポ103

 投稿者:e-mail  投稿日:2004年12月26日(日)14時19分27秒
  レポ96の方、野音で通路際に居た、『横浜から来た専門学校生の彼女かな?』こちらこそ、話の相手をさせて頂き誠に有り難う御座います。千葉から来た『おじさんの方です』 受験の方は大変ですか? 頑張って下さい。情けない事に、今日に成りましたが、野音は、『大変すばらしかったです』
自分の世代は、『良い意味で、ラフィンのメジャーデビューを原体験で体感出来た世代』でしたが、当時の自分の『若気の至り』でしょうか、興味を示さない所か、(ファンの皆様御免なさい)インディーズ物が嫌いでした。しかし、ラフィンノーズの世界を引き合わせるきっかけを、作ってくれたのが、『千葉から来たお兄さん』でして、彼が、『ラフィンノーズ知ってますか?』と、自分に話掛けてきた事です。
自分は、『名前くらいは知っているよ。確かかなり前に解散した筈だよね』と、答えましたが、彼は『再結成して、活動している事知らないのですか?』と、言われた事に、自分は『大きな驚きを隠せませんでした』。『頑張っているんだ!!』と。1987年の『野音の悲劇』は、当時購読していた、FM雑誌で詳細を知ってました。あの時代は、インディーズバンドが全盛期の時代、ファンの熱さもある程度知ってました。彼の一言が有った所為も有ったのも有った事。そして年齢の所為有りますが、その後発売されていた、CDをなんらかの形で、購入して聞く事に・・聴いた後『カッコイイ!!何故早くきずかなかったのか!!』悔やんでも悔やみ切れない思いがこみ上げて来た自分が居ました。後に、彼が(千葉のお兄さん)『野音でライブが有りますから見に行きませんか』と、言われた時、『良し!今度はライブだ!』と、決心を固めた次第です。
野音に到着後、自分の感想としては、意外と若い年齢層ファンが多い事。自分の考えと違い『今もなおラフィンは、現在進行形のバンドである事』そして、『リアルタイムで、体感した世代』。彼ら達は、『17年前に置き忘れた何かを、見届に来たのだろう』
雨は、激しく成ったり、幾らか弱く成ったりの不安定状態。自分は、そんな事は気に成らない『気のせいだろうか』 ライブの方は、過去レスの方たちにお任せしますが、最後の方は、自分と、『千葉のお兄さん』と、レポ96の『横浜の彼女』、後ろに居た、『富山県から来た自分と同世代の二人組み』と、楽しませていただきました。 最後、横浜の彼女、富山県から来た二人組、偶々居た、『俺は、17歳の頃からラフィンを追い続けている』の、40歳の彼。『また機会が有ったら再会したい』と、思いながら握手を交わし野音を後にしました。
暫く経った後の、12月18日の『千葉LOOKのライブ』を、『千葉のお兄さん』と、見に行きましたが、(他に、「SA」他に、ソバットのメンバーが立ち上げたバンド、リンク13かな)やはり『野音の大偉業を達成した後』なのか、感じがリラックスしていたのは、気のせいだろうか?
演奏終了後、ファンからの差し入れのケーキを、分け合いながら食べていたり、DJの『マー君』(で、良いのかな?)と、『スプリームスの「恋はあせらず」の、ロカビリーアレンジ』を聴きながら、チャーミーサンが、『こんあ曲を、ロカビリーアレンジするなんて凄いよね』と、音楽談義に花を咲かせてましたね。
これからも『よき若者達の伝承者』と頑張って下さい。長文失礼。
 

レポ102

 投稿者:e-mail  投稿日:2004年11月20日(土)10時24分41秒
  あの日に帰る日がまさか訪れるとは夢にも思いませんでした。あの日と一部歌詞は違うけど同じ曲でスタートして、5曲目まで同じ曲目で進行し、6曲目のクレイジーのギター引き始めたところで、ライブ中断~中止した17年前に引き戻されました。17年前と違うのはヘルホームの音玉がないくらいで、その後は新旧とりまぜたすばらしい選曲でした。
短くて不満げな書き込みもありますが、パンクのライブは短くてあたりまえ、長さよりも内容です。渋公から見ている俺が保証します、野音のライブはすばらしかった。アーティストの底力を見た気がします。明らかに普段見えない何かが見えました。まるで往年の最高のコンディションのようでした。
思ったよりも野音リピーターは少なかったけど、自分にとっては、死ぬまでにまさかあの続きを見ることができるとは思わなかったし、あの往年のような最高のパフォーマンスを、今見れるとは思わなかった。ポンさんの言葉通り、人生は本当に長いものであり、真剣に生きていれば必ず夢はかなうと確信しました。
まだまだ長い人生、ラフィンと共に歩んでいきたいです。今後もよい曲とよいライブ活動頑張ってください。応援しています。
 

レポ101

 投稿者:e-mail  投稿日:2004年11月20日(土)10時22分19秒
  野音、参戦して、よかったです。もし、参戦していなかったら、一生、後悔していた
と思います。 
僕は、17年前の事故の事は知りませんでした。(すいません)でも、
ライブの途中、涙が溢れてきました。最高のライブでした。ラフィンの皆さん、本当
に、お疲れ様でした&ありがとうございました。 m(_ _)m   
 

レポ100

 投稿者:e-mail  投稿日:2004年11月17日(水)12時16分58秒
  ラフィンの野音が始まるぜ~、から、栄光を掴め!までの約2時間。いっぱい笑ったし、なんか感動した。
ラフィンを知ってだいたい4年くらいだから、別に17年前がどうとか、おいらにゃ全然わかんないんだけど、でも、この日のラフィンノーズは間違いなく素晴らしかった。
感傷も色々持ち込まれていて、大泣きしてる人もいたし。特別なライヴなんだ、という空気を最後まで持続できたのは、間違いなくラフィンノーズが本物だったからじゃないかな。
最高。
 

レポ99

 投稿者:e-mail  投稿日:2004年11月16日(火)12時00分5秒
  野音、お疲れ様でした。
あの日以来、僕の周りでは野音のことを語ろうとしません。誰もがみんな自分で受け止め・・・ 
そんな(ラフィンが好きな)友達が好きです。
 

レポ98

 投稿者:BBS  投稿日:2004年11月15日(月)18時28分10秒
  野音の席真ん中くらいからみてましたが前半戦はまさに大人も子供もカンケ―ねー!一体感でしたね。
二曲目COM'N~のときチャーミーのカモン!!にカモン!!とこたえる数えきれない程のファンの突き上げられた腕の光景、指定席で人と人が等間隔に立って揃ってタイミングもバッチリで壮絶でしたよ。
ナオキさんが弾くPARADISEのイントロが流れた瞬間の照らしっぱなしのライトとあいまった神々しさ、マルさんのドラムの一音一音、リアルタイムではなかった自分にも昔の雰囲気が少しわかった気がして嬉しかったです。 ポンさんの暴れっぷりもスゴかったです。
 

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